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about nanacologo

nanaco
ここでは、雑誌『SWITCH』でCoccoの写真を撮り続けている nanacoさん について特に取り上げてみました。
というのも、SWITCHの撮り下ろし写真でも充分分かるのですが、その他にも、彼女は、98年の写真展 cloud ki
ssing −Cocco in Ireland やフィリップ・ガレルの「内なる傷痕」と併映された Cocco Short Movie 
〜クムイウタ〜 の企画などで、かなり積極的にかつ深くCoccoの内面に関わり、自らの写真家としての活動のテーマ
にCoccoを据えているからです。自身、ミュージシャンであり、アーティストであるnanacoさんが、被写体としての
Coccoに価値を見出したのは、nanacoさんのアーティスティックな感性に訴える強烈な魅力がCoccoにあったから
ではないでしょうか。一体nanacoさんのどのような部分にどのような作用をCoccoが及ぼしたのか? これについては、
以下のnanacoさんの活動歴がヒントになるのではないでしょうか。私は、実際のnanacoさんのアルバムは聴いたこと
がありませんが、 MOONRIDERS、野宮真貴、杏里 への提供作品、また、ニューウェーブバンドを結成するあたりから
判断するに、ヨーロッパ風のデカダンな空気感を愛し、インテリジェンスに溢れ、繊細な方のように感じられます。
また、そのミュージシャンとしてのイメージ・作風がコケティッシュでジャジー、堕天使のよう、というファンの評
からも、益々そのような思いを強くさせられます。
ところで、今回、nanacoさんを調べていて、個人的に引っ掛かっていた、ある謎が解けました。というのは、97年の
「ぴあ」(筆者未読)でCoccoが 佐野元春 氏と対談しているというのが、イキナリという感じで解せなかったのです。
しかし、nanacoさんが佐野氏の盟友であったことが分かったことで漸く得心がいきました。また、nanacoさん→MOON
RIDERSの繋がりの延長に、CoccoのツアーやCDで華麗なギターワークを披露している 白井良明氏(MOONRIDERS)
や、プロデューサー 根岸孝旨 氏が浮かび上がってきたり、nanacoさんの96年のアルバム「love  is a drug」で
 Dr.StrangeLove がnanacoさん自身と共同プロデュースしていることも、Coccoを取り巻く人々の関係を理解
する上で、興味深く思いました。
以下nanacoさんの主な活動歴を調べて列挙してみましたが、もしも、この他に情報がありましたら、
管理人までご一報下さると嬉しいです。

ミニ情報

プロフィール

nanaco

1977年シンガーソングライターとしてデビュー。コケティッシュでジャジーと称されるイメージ、作風。
初期の佐野元春作品の協同ライター、盟友としても活動。
ムーンライダーズ野宮真貴、杏里らの作詞も手がけるかたわら、
80年にニューウェーブバンド、SPY結成。その後、ソロ活動を再開するが、現在は、
プロカメラマン、CMナレイターとしても活躍。また、98年よりコクトー・ツインズ
のレーベルBella Unionと契約。同サイトにnanacoさんのページもあります。キレイなんで是非見て。

Total Indies Music SIte e-direct.
1955年 東京生まれ。
1973年 慶応大学文学部入学。同大学の同好会による「女子大生のシンガーソングライターコンテスト」にて最優秀作詞賞受賞。
1977年 佐野元春氏との共作「ファニーウォーキン」でデビュー。同大学卒業後、日本コロムビアよりソロアルバム3枚発売。
1980年 ニューウェイヴバンド”SPY”を結成。加藤和彦氏のプロデュースにて、ビクターより「SPY」を発表。
1981年 この頃より写真に興味を持ち始め、ヨーロッパへの写真の旅に出た後、プロのフォトグラファーとして仕事を始める。
1987年 この頃より約5年間のパリ生活が始まり、写真の仕事をしながら短編映画なども制作。
1989年 ニューヨーク大学にて映画制作を学び、再びパリへ。
1991年 日本へ帰国。
1993年 写真の仕事と共に再び音楽活動を始め、ナレーション、文筆、映画等、写真以外でも多彩な活動 を続ける。
1995年 日本コロムビアより日向敏文氏プロデュースアルバム「Fear and Loving」をリリース。同 時に次のアルバムのレコーディングを行う。この頃より過去にリリースしたアルバム等が再びリ リースとなり、好評を得る。
1996年 L.A.のインディーズレーベルより「Love is a Drug」をリリース。イギリス、日本(東芝EMI) においても発売。”Melody Maker”誌の”Singel of the Week”に選ばれ、MTVヨーロッパ の人気番組”Alternative Nation”で紹介されるなどと共に" Dazed and Confused” 誌や”SELECT”誌、”ID”誌などのイギリスのメディアでは新人としては異例の扱いを受け、 売り切れ続出のニュースも。また、海外及び日本でのライブも企画され、同時に多岐にわたっての 活動を展開。 【Coccoと出会う。以降『SWITCH』での写真撮影を中心にCoccoをアシスト。】
1998年 イギリスのCocteau TwinsのレーベルBella Unionと契約。ニューアルバム「luminus love 23」 がイギリスを発信地として、全世界リリース(アメリカ、ベルギー、オランダ、ギリシャ、スロヴァキア、 カナダ、南アフリカ、メキシコ等) 【cloud kissing −Cocco in Ireland nanacoの作品60点 余りの展示をメインに、ビデオ上映、スライド上映など。】
1999年 「luminus love 23」、フレイバーより日本発売。

ディスコグラフィ

タイトル オリジナル/リリース 備 考
Funny Walkin' 1977.6.25 日本コロムビア デビューアルバム。殆どの曲が佐藤奈々子作詞、佐藤奈々子&佐野元春共同作曲。
Sweet Swingin' 1977.12.25日本コロムビア 2ndアルバム。全曲佐藤奈々子作詞、佐藤奈々子&佐野元春共同作曲。
Pillow Talk 1978.10.25 日本コロムビア 3rd。佐野元春以外の作家、鈴木慶一、南佳孝、佐藤博らが参加。
Kissing Fish 1979.7.25日本コロムビア 4th。全曲井上鑑アレンジ。作曲陣は佐野元春、佐藤奈々子、加藤和彦、矢野顕子、南佳孝、井上鑑
SPY 1980.10.21日本コロムビア 佐藤奈々子率いるニューウェイブバンド「SPY」のデビューアルバム。加藤和彦氏プロデュース作品。
Firstclass Honeymoon
「ファーストクラス・ハネムーン」
c/w Daddy's Kiss「ダディズ・キッス」
1980 7" Single; Victor SPYのとしてのシングル
FEAR AND LOVING
(佐藤奈々子 sato/nanaco)
1995.1.21 日本コロムビア
(COCA-12259)
復帰第1作。日向敏文プロデュース。
love is a drug
(NANACO)
1996.7.24東芝EMI
(TOCT-9494)
プロデュースby Nanaco+DSL
Lick your footsteps to clean my room
(nanaco)
1998 Bella Union プロデュースby サイモン・レイモンド(コクトー・ツインズ).luminus love in 23」からの先行シングル。
luminus love in 23
(nanaco)
※e-directで試聴可
1998.8.7 Bella Union
1999.3.25FLAVOUR
(TFCC-87616)
プロデュースby サイモン・レイモンド(コクトー・ツインズ)
sisters on the riverbed 2001 7.25 TYO Music
(RVB-0023 )
プロデュースby マーク・ビンガム(ニューオーリンズの大物プロデューサー) オフィシャルサイトでPV試聴可

作品提供

MOONRIDERS

MOONRIDERSには「月面讃歌」(1998.07.18 <CD> KSC2 230 Ki/oon)収録の”Sweet Bitter Candy”で根岸孝旨 ( Dr.StrangeLove )もProduceで参加。

野宮真貴
杏里

[1]「幕間」作詞・作曲:佐藤奈々子

暗い時代の ラジオから 流れてきた バラ色の デカダンス 私達を 踊らせてくれた 彼女は ささやいた Let's dance decaddence

その他の活動

[2]ハルメンズ=佐伯健三(VOCAL)、上野耕路(KEYBOARD)、比賀江隆男(GUITAR)、石原智広(BASS)、泉水敏郎(DRUMS)
[3]佐野元春トリビュート・アルバム「BORDER」発表に寄せての佐野元春氏の文より一部抜粋
このアルバムは夜空に発火する一瞬の奇跡のようだ。
不可能を可能にしたのは一人の女性。
彼女の名は、佐藤奈々子。
共に闘う同志。創造の女神。

彼女は、「点」でしかない僕を、「流れ」に置いてくれた。
彼女は、「見えなかった」線を「見えるように」してくれた。
世代や、取引きや、理屈や、愛や憎しみを越えて、
ただ一点、「ある重要な目的」のために、覚醒し続けたんだろう。

このアルバムに込められた、ある重要な目的。
それはあまりにナイーブすぎて言葉にならない。
もし、佐藤奈々子の言葉を借りることが許されるなら、
それは、「美しい痛み」に近いもののように思う。

僕は覚醒者でありたい。
佐藤奈々子が覚醒者であるように。
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